フィガロに対する気持ちと、風習について

 これはあくまで私個人の気持ちなので読み流して欲しいのだが、もしこの文の「風習」の生まれるきっかけとなった出来事があったのならば、それを教えてもらえると嬉しい。

また、自分のこの文章が気持ち悪いことは理解しているので、読むのは自己責任でお願いしたい。

 私は4月に魔法使いの約束を始めた生まれたての賢者だ。

始める前からとある事情フィガロに惹かれており、ダウンロードしてすぐホームに設定してこれはヤバイと思うなどしていた

そして、私にまほやくを布教した相互が最初の育成スポットとしてオススメしてきた「病の沼」を正直に選んだ。

賢者なら既に察していると思うが、そりゃ落ちた。元々人の気持ちがわからない優先したいもののためなら他を切り捨てることも厭わないような人外が好きだった私は、ひとたまりも無かった。

当時の私は溢れる感情に身悶えしながらも、あくまで「まだハマっていない」と言い張っていた。なんとなくメインストーリーを完走するまでハマったと言ってはいけない気がして。

 

 しかし、「好き」の気持ちに物凄く素直であった私は、すぐにツイッターで「フィガロ」と検索した。すると、不思議な光景が目に飛び込んできた。

フィガロ推しのオタクが他担に「フィガロがすいません」と謝っていたのだ。

それもかなりの人数が。(ちょうど盗賊イベの時だったので、恐らく北の3人組が話していた内容についてだろう)

私は全く理解できなかった。なんで先輩賢者たちは推しの代わりに謝っているのだろう。

でもまぁ、まだフィガロのことをそこまで知らないからわからないだけかなと思い、ひとまず何も見ないでストーリー開放に勤しむことにした。

 

 それから1週間半ほど経ち、無事メインスト、親愛ストを読破した私は、「フィガロは俺のことを好きじゃないけど、フィガロを嫁に迎えて幸せにする」だとか「同レベルの肩幅を手に入れるしかない」だとかをツイートするくらいには狂っていた。

それでも、代わりに謝ることは理解できなかった。

 

 そして更に時を経て、泡沫イベ、梅雨イベなどを乗り越えた七夕直後の私は未だ理解できないでいる。

フィガロ担が他担に謝る」ことが固定化された風習であることはわかっているし、そのパフォーマンスが行われている様子が目に入っても「ああまたやっているんだな」と思うだけで、おかしいだとかやめろだとかと言うつもりはさらさらない。

しかしどうしても、フィガロを推していても、その風習に参加する気持ちにはなれないのだ。

だから何?と言われれば返す言葉はないし、自分が面倒くさいオタクであることもわかっている。

 

 最近のストーリーやセリフを通して、フィガロへの感情と解釈は幾らか変わった。

解釈が深まれば深まるほど、プレイヤーである私とフィガロとの間の距離が増えていくのを感じる。

フィガロにとって私は、地球の裏側で降った雨なのだ。どうでもいいが、彼が大切にしたい相手に降りかかろうものなら嫌悪される。(嫌悪という表現が勿体無いくらい取るに足らない存在ではあるが、適切な言葉が思い付かなかった)

そんな私がフィガロの代わりに謝罪など出来るのだろうか、それが出来るほどフィガロのことを理解しているのだろうかと考えると、答えは間違いなくNOであった。

 

 「謝罪しにいく」ことからムルとシャイロックが連想されることが更に私のそんな気持ちに拍車をかけているのかもしれないし、他のフィガロ担が謝っているのを見る度に「謝らないとフィガロ推しではないと思われる」みたいな被害妄想をして勝手に焦っているのかもしれない。

こんな文を書こうとベッドに仰向けになって考えた後に「迷子の大人」を読み返して泣いている私は、

今日も他担に謝れない。